ニートよりも普通のサラリーマンこそベーシックインカムに救われる。

特段贅沢ができるわけでもない賃金で、バカみたいに拘束されて、決まりをつくられて。

仕事して仕事して仕事して。

 

みーんなしんどい。

そんで労働の時間の割に生産性が低いとか言われる。

 

哀れじゃない?

労働の生産性が低いのって工夫が足りてないからだよね。

 

なんで工夫しないのかって、根性論だからだよね。

ここに資本主義が乗っかったらそらアホみたいに働いて、しょうもない仕事に忙殺されて、リソースフル活用しているもんだから、業務内容も改善されないわ、いきあたりばったりの行動にでるわ。大した仕事してないのに疲れて家帰ってから何もしないでネット見て、テレビ見て、生産性のないことするしかないよね。

だよね。

人手不足でいいと思う。

工夫するしかないじゃん。

豊かな国だからこそ、この国は工夫しなかった。

豊かじゃない今こそ工夫するんだ。

 

そんでさっさとこの拝金主義から抜け出せばいいと思う。

ぶっちゃけベーシックインカムはそういう意味では画期的だと思うよ。

 

というか、今になって思うけど、ベーシックインカムってある種理想の施策じゃない?

だって、基本的人権の尊重じゃない。最低限の暮らしみんなに保証すれば、本当に大切なものがなにかを考える余裕ができるじゃない。

 

生きるか死ぬかなのはむしろ働いている人だとさえ思うこの社会で、本当にいい労働環境を作るのは、そしてそれにチャンレンジする環境ができるのは、いいことだ。

 

この国の企業は、働かなければならない弱者を食い物にしすぎたなあ・・・。

 

 

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そういや私はニートでブログやってるんだ。

基本思想はニート同士で協力してブログを成長させて収益化させる。

っていう。

ニートって話してみるとわりと情弱なので、なにか繋がりができたほうがいいかなって、そんでみんなでブログでもやればいいんじゃないかって。

ネット上で関係性完結するし。

ま、ぜんっぜんうまくいかないけどね。

長期のガチニートはそもそも他人と絡むのさえあれなんだよね。

ま、興味あれば

こっからどーぞ。

ニートのお金事情その2/なぜ引きこもりやニートは長期化するのか。

じゃあ今回はニートのお金事情は少し具体的な話に。

 

しかし、前回以降の間にニート関係のとんでも事件が起こりすぎてて笑うよ。

笑えないけど。

 

まあ、今回彼らについても少し触れようと思う。正直そこまで興味ないので詳しくないけど。(結果触れなかったぞてへ

 

さて、

お小遣いをもらってないパターンについて考える。

お小遣いをもらってないパターンはどんなふうに過ごしているかについては、いろいろある。

まず第一に彼らは基本的にお小遣いというものをそもそももらってない。

 

つまり学生時代からもらってないようなのだ。

このパターンはかわいそうに思う。

もしかしたら携帯とかも買い与えられていないパターンもあるだろう。

 

理由は親の考え方や経済状況だと思うが、

そもそも本当に貧乏だと引きこもるのは難しい。

経済的な問題は家庭環境に直結するからだ。

 

ひきこもりは甘えという考え方は間違っていると思うが、働けなければ食うものもないという家庭ではない。そもそもそんな家庭なら生活保護がもらえると思うが。

 

そもそもの問題として、経済的に逼迫していると、親との関係性がわるすぎて働くなり自殺するなりする。

 

一応書いておくが、

ひきこもりは甘えという考えは基本的に間違っている、彼らは基本的に好んで引きこもっているわけではないし、好んで自殺しているわけではない。

自殺というのはポジティブなものではない。

 

 

さて、話を戻すが、このパターンはわりと多種多様な気がする。

ご飯代としてはお金をもらっていたり、食事は自分が作ったり、

欲しいものはそれなりに買ってもらえるパターンなどいろいろある。

勉強のためとしてでも本を買ってもらうことさえ簡単ではなかったりする。

 

しかし彼らは親との関係は概ね良好だ。

もちろんいろいろあるだろうが、いきなり外に追い出すというスタンスではない。

 

しかしだからこそやばい。

つまり、親は子供にたいして、心配している。

が、引きこもりやニートという状態に対して、打つべき手を持っていないように感じる。

 

 

ちなみに私の親もそうだ。

しかしこれは難しい問題なのだ。

例えば親がこうしたらどうだろうという動きがあっても、子供側と意見が合致していることはまずない。

メンタルヘルスにしても、当事者達の集まる会のようなものにしても子供側が積極的な例は少ないし、心療内科などはうさんくさいというイメージもある。

薬の服用に関しての問題もある。

 

メンタルヘルスに関しては子供側が通院を拒否するパターンもある。

逆に親が子供の自覚症状を軽く考えていて理解のない場合もある。

これに関しては家族間でもめることが多いのでなんとも言えないが、非常に難しいと思う。

 

なんで難しいかって、ニートの子供は往々にして家庭仲はわるくないが、ニートになった理由に親が関わっていることも多いからだ。

 

そういう意味ではこれに関しては親にも自覚があることが多いと察する。

だからこそなににしても強く言えないし、外にほっぽり出せないのだ。

 

仮に外にほっぽりだしてニートやひきこもりから脱したとしよう。

それで子供達と親は絶縁する可能性は誰が考えたって高い。

これは当時者達なら考えるまでもなく直感として感じているだろう。

 

そうして淡々と家庭仲は良好な状態でどんどんと社会に適応していくのが難しく鳴っていくのだ。

 

引きこもりやニートが長期化するのは、実は保護されている引きこもりやニートの方が強い立場にいるが、金銭的にも精神的にも弱いため、社会に出る準備が一向にできないということなのだ。

 

 

 

 

昨今のひきこもりの事件をひきこもり10年選手が考えてみる。

ひきこもりが殺したり殺されたりしている。

 

で、これをどう捉えるべきかと言えばだ。

 

単純に考えると個人が責任が責任を取れ派

社会や環境がまずいんじゃないの派

 

がいると思う。

 

どこかの誰かが、「死ぬなら一人で死ね。」

と言う。

 

しかし自殺する人間というのは基本的に不幸せな人間なのだ。

つらくてつらくてつらくて自死する。

そのほとんどは誰も犠牲にせずに。

 

死ぬなら一人で死ねという人間たちはまさに自殺する人たちの加害者である。

偉そうなことを言いながら、辛くて辛くて辛い人間達がいることを知りながら、何にもせず、ただ一人で死ねと要求する。

 

だからまだまだこういったことは起こるし、死ぬなら一人で死ねと公言する人に殺意を抱くのも全然おかしいとは思わない。

むしろそういう人間を殺した方がこの社会の「私は頑張ってきたし、苦しんできたけど立派にやっているという、それができないくずがひきこもりだろうなどという何もかもずれている」感覚を持っている傲慢な人間に気づきを与えるかもしれない。

 

啓蒙的殺人。確信犯的殺人。

 

別に殺人補助をしているわけではない。

 

ただしはっきり申し上げたいのは、人間というのは生まれてからずっと他者に影響を嫌だろうとなんだろうと受けているということだ。

 

親や友だち、上司に恋人から国家、そして社会環境、社会情勢というありとあらゆるものが影響して人格を形成している。つまり本質的に自己に責任などないのだ。

 

誰かが誰かを殺した原因を見つけるというのはあまりに短絡的な考えで、そんなものは生まれてこの方すべての外部的要因としかいいようがない。

 

だから死刑というのも社会が取る責任のとり方としてはかなり乱雑だと考える。

言ってしまえばありとあらゆる犯罪どころか、ありとあらゆる選択は個人が決定するが、その個人を形成しているのは外部的要因なのだから、個人にすべての責任を押し付けるのがその外部的要因の主だったものというのはどう考えてもおかしい。

 

人の命は社会のものだという考えなのかも知れない。

 

いじめられて死んだ人の原因はいじめで本人に責任がないだとか可愛そうというのなら、人を殺傷してその後自死した人間だって可愛そうという論調にならないのはなぜか。

 

どんなことがあろうとも人を傷つけてはいけないというのなら、私やその他すべての人がなぜ傷ついているのだ。

わかりやすい暴力だけを暴力だと考えるからあまりに幼稚な論理でものを考える。

 

 

 

日本人の15歳から39歳までの死因の第一位は自殺である。

 

つまりこれは一般的に若者と言われる世代だろう。

 

若者がどれだけ絶望しているか。少なくとも私が輝かしい日本の未来など聞いたことはない。

 

年金と社会保障で税収のほとんどが消えているくらいしかね。

 

さて

 

自殺する原因は様々だし複合的なものだと思うが、自殺をする人間は基本的に事態は好転しないと思っている。

 

つまり、自分ではもうどうにもできないし、誰も助けてはくれないと思っている。

 

これがひきこもりが長期化する原因だ。

 

今回の児童を複数人殺傷した事件を受け

アホな、(決して警察を貶めているわけではない。ただ本当に費用対効果という感覚のない人達だからこう言わせてもらう)

警察の皆様が、パトロールしているとか聞く。

 

そんなことをしてもどうにもならない。

 

そんなことよりも現実的にどうするか。

 

つまりひきこもり達とコミュニケーションをとらないといけない。

 

パソコンもない。テレビとゲームのある部屋で、一人つらいのを我慢している何十年も引きこもっている人間とコミュニケーションを取らないといけない。

 

つまり、どうにもできないよね。

 

ということだ。

 

考えてもみてほしい。

 

事務次官にもなった男でも自分の息子を刺し殺すしか手が打てなかったのだ。

 

ひきこもりと言っても本当に様々なんだ。

 

それこそ外部要因が違う。

 

ゆえに人格も違う。

 

つまり解決方法も違う。

 

どうにもならんだろう。

 

根本的に既存のアプローチ方法では少なくとも無理だろう。

 

これは児童虐待にも似ている。

 

つまるところ、「家庭」に介入しづらいのだ。

 

何の権利があって、何を根拠に家庭に介入するのか。

 

そして介入した後に責任をどう取るのか。

 

いろいろ考えるが、現状の日本のリソースと能力ではおそらくできないことが現実的な解決策となる気がするのであった。

 

 

 

 

 

 

ニートにお小遣いは必要なのか。ニートに関わって知ったニートのお金事情。その1

私は何人かのニートと関わってみて、話してみて、聞いてみたことがある。

「お小遣いはもらっているのか、もらっているならいくらなのか」

この点である。

 

で、だ。

 

ニートという属性は私はかなり大雑把な枠組みだと思っていて、日本で言えば血液型でわけて考えるとうな類になると思う。

 

つまり背景から個人的資質、経験など全然違っているし、ある種の傾向としてのカテゴライズはできるかもしれない、という程度のものだと思っている。

 

で実際問題として。

私が関わったニートっていうのは多分若い層。つまりせいぜい20代半ばまでが多いと思う。実際に聞いた数値にしてもそうなので聞いてない人もだいたい若いと予想される。

なぜ若い層が多いのかと言えば、ネットから知り合っているからだと思う。

 

で、簡単に分けるとこんなかんじになる。

 

  1. もらってないパターン。

  2. もらっているパターン。

  3. そもそもお金持ちパターン。

 

お金持ちパターンは大体欲しいものは買ってもらえるようだ。

 

もらっているパターンはせいぜい1~2万。まあもらっているとしてもそんなものなのだろうか。

私はここに当てはまるので、これの実情についても語る。

 

そして一番多いのは確実にもらってないパターンだ。

 

 

正直に言えば、私は他のニートのいくばくかのお金を受け取っていると思っていた。

というか、正直あまり想像がつかないのだ。もらっていないパターンを。

ニートだからこそ明確な手触りのようにわかる。もらっていない恐ろしさを。

はっきりいって、ぞっとする。

 

今回はこれくらいで、忙しいんだ私は。

今月中には続きを書ければいいが。

まあ大した内容にはならないと思うが、興味があれば読んでほしい。

 

 

ヨルヒという、よろしくお願いしようか。

 このサイトを作った理由は私がニートと関わってきたことを記録していこうと思ったからと、ここでまた新たなニートと関わろうかと思っているからだ。

 

私はニートのコミュニティを築こうとしたし、築こうとしている。

 

はっきり言えば、もはや方向性はわからない。

 

わからないね。

 

ある種の狙いを持ったことを考えているし、実行できるラインはかなり低いがやろうと思っている。

 

現時点でもまた定まらない中で行動はしている。

 

それについても追々書いていこう。

 

ここでは、かなり生々しい、普通の人が知ることのないニートという存在について知れると思う。

 

そして私は何もわかってなどいないことも自覚している。

それでもこれから行動するとは思う。もっと知っていくのだと思う。

 

そしてその結末はわかっているから言っておく。

ニートという属性はかなり大雑把なカテゴライズでしかない。

 

 

ここまで私はニートのために2つのサイトを運営している。

このサイトは含まない。これはそういう趣旨ではない。

 

一つは

motazarumonotati.net

というブログだ。

これは私の日記サイトになっているが、読んでいけば何をしようとして何が起きたのかかはわかると思う。

 

修正して実行したのが

clowder.news

というサイトだ。

 

これはニュースメディアというか、ある程度アクセスを得ようとしているサイトだが、私は前記のサイトでニートに失望しており、あまり真面目にやっていない。

 

というか、真面目にやりようがないのだ。本来の趣旨から離れて一人で動いているからだ。(今はもうひとりいるのだが。)

 

何にしても、私はもうニートに対して大きな時間を割こうとは思えない状態でClowderを更新している。

 

しかし、恐らくこれからも修正して行動していく。

その結果私の趣旨、目的のためにどう行動してどうなっていくのか。

関わっていくニートはどうなのか。

ということを書いていくつもりだ。

 

長くなった。

言ってしまえばこのサイトにも時間を掛ける気はない。

というか掛ける時間もないのが現状だ。

 

それではよろしくお願いしよう。